このあたりからしばらくスランプ状態。ひたすら練習するしかない。月曜にはフェルナンドに調整してもらうことに決める。とはいえ、あまり暗い文章になるのもどうかと思うので、気をとりなおしてマクドナルドの話でもしましょう(なんで!?)。
コパカバーナ海岸から少し奥に入った通りに、マクドナルドはあります。ここの前を通るといつも思い出す話があって、それは2002年、リハーサルのためにパンデイロの長岡さんが初めてうちに来た時のこと。駅からの道中にあるマクドナルドのお店の形状が、間口は狭く、奥に向かって細長い。それを見た長岡さん
が「ブラジルのマクドナルドみた~い」と目をキラキラさせて嬉しそうに言ったのです。それを聞いてから、ブラジルのマクドナルドはどこも奥に細長いのだと
思い込んでいたけど、サンパウロでは違ったので一部のようです。でもコパカバーナのマクドナルドはまさに奥に細長く「これだ!」と思ったのでした。一度サ
ラダを買ったけど、半端じゃなく大きかったです。
ハンバーガーつながりで、よく見かけたもう一つのチェーン店が「ホブス」(ROB’Sと書きます)。海岸沿いのアトランチカ通りにもあって、夜遅くなってもお客さんがいっぱい。店員さんも皆英語の話せる若い人が多かったです。
月: 2004年1月
リオ篇 1月30日(金)
今日はレッスン。この回から録音したレッスン内容をノートに書き出すことに。ポル語のヒアリング訓練。何よりスタジオでブースに入った状態で意志の疎通ができなければレコーディングも成り立たない。ちょっと必死になってきたわけです。
そして、今日はレッスンの冒頭、厳しいことを言われてしまいました。新しい楽器はどうか?という質問に始まり・・やはり昨日のライブで思うように演奏できなかったのが伝わっていたのだ。はー。基本的で当たり前のことを言われるとこたえるものです。楽器も弾きこめば必ず鳴ってくる確信はあったけど、いくらか調整の必要も感じる。弦も替えなくては。
厳しいことを言われたのは最初だけで、レッスンはまたほのぼのムード。お互いの家族の話などをする。ホジェーリオのお父さんはパンデイロ奏者(故人)お母
さんは歌手で、5人兄弟全員が楽器をやっていて、そのうちプロ活動をしているのは3人。うちもまぁ、両親とも音楽家だったので「音に囲まれた家族。同じだね」などと言われる。
リオ篇 1月29日(木)
今日の『ダーマ・ダ・ノイチ』でのライブは、ホナウドとセウシーニョが地方公演で不在のためメンバーが違う。歌手のアジェノールとギターのホジェーリオは
同じだけど、まずバンドリンがホドリーゴ・レッサ(「ノ・エン・ピンゴ・ダグア」「パゴージ・ジャズ・サルジーニャス・クラブ」のメンバー)。そして今日
はパンデイロではなくドラム(ブラジルではバテリアと呼ばれる)のマルシオ・バイーアが入る。マルシオは何度も日本に来たことがあるそうだ。
私はというと、慣れない楽器で不安。特に弦を調整する”糸巻き”が固くて思うように動かせなかったり(こういうことで時間がかかるとイライラしてしまうも
のだ)演奏するにもまだ体に馴染まず、なかなか感覚がつかめない。もちろん聴いている人には楽器がどうかなんて関係ないから、ひたすら一生懸命やるだけなのですが。なんとか演奏を終えたけど、疲労感たっぷり。
リオ篇 1月28日(水)
今日はボタフォゴ地区(コパカバーナの北に位置する)にあるセルジオ・ポルト劇場へ。ホジェーリオお薦めのアーティストがライブに出演するという。彼の名はラエルシオ・ジ・フレイタス。サンパウロの人で、作曲家でありピアニスト。
実はちょっと長くなる話があって、1月15日、初めて聴いたホナウドたちのライブで一番最初に演奏され、一発で惚れてしまった曲の作曲者がこの人だった。
MDに録音していたので昨日ホジェーリオにタイトルを聴いたところ『私達の友達”エズミ”へ』だと教えてくれた。そのあとで、サンパウロで大量に買った
CDをホジェーリオに見せて(自慢して)いたところ、一枚のCDを手に彼が言う。「このCDのタイトルにある”エズメラウジーノ”が、あの曲の”エズミ”
のことだよ」と。へ??
順を追うと、こうだ。
サンパウロで私が買ったCDは、作曲家エズメラウジーノのショーロ作品を集めたもの。そしてそのエズメラウジーノの友達だったラエル
シオが、作品に彼の名をつけた。ホナウドたちがその曲を演奏し、私は好きになった。で、作曲者ラエルシオの生演奏が今日リオで聴けるということだ。これは
行かねば!・・
タクシーで会場に着くと、入り口に若い人たちがわんさかたむろしている。中へ入ると十代にしか見えない若い人ばかり。おどおどしつつライブフロアに入って席に座ってみたが、落ち着かない。そのうちお客さんも満員になり登場したのは、なんとヒップホップのバンドではないか!えぇぇぇっ、ちょっと違うよホジェーリオ~
仕方なく一度出てスタッフに尋ねると、どうやら数バンド出るイベントらしく必ずこの後にラエルシオが出るという。ホッ。この場で待つのは難しいので出口近くに行ってみると、ちょうどTさんご登場。近くのミナス料理食べ放題の店に行き今日もまた満腹に。
さて良い時間になって再び会場に戻ると、すでに始まっていました。今日のライブはラエルシオの娘、タウマがヴォーカル。オリジナル曲の他「ラメント」なども歌ったが、曲間でスキャットする時のフレーズがまるで楽器のアドリブそのもの。ラエルシオのピアノも素晴らしかったけど、タウマに魅了されてしまった。
満足、満腹な一日でした。
リオ篇 1月27日(火)
楽器はすぐには鳴ってくれない。朝から練習。ロングトーン、音階練習、バッハ、パガニーニとまるで学生時代のようなメニューでゆっくり楽器と仲良くなっていく。午後のレッスンで、ホジェーリオは楽器を買えたことを喜んでくれた。彼の楽器の話なども聞き、少しずつ会話がこなれたかな?
レッスン後はTさんのご案内でヴィラ・イザベルという街へ。ここは数々の名曲を生み出したサンバ界の大作曲家ノエル・ホーザ出生の街。歩道に大きな五線譜と音符の模様が描かれていて、それが彼の曲の楽譜だったりする。素敵。この街にあるレストランでちょっとしたライブがあるそうなので出かけました。でもラ
イブそのものよりお料理の美味しさに感動。お腹いっぱい食べて今度はクララ・ヌネス劇場のショーロコンサートへ移動。
コンサートは「プリンシピオス・ド・ショーロ」と銘打たれたもの。先週から始まった5回シリーズだが、毎回少しずつ趣向をかえている。今日はいくぶんリラックスした内容、そしてまた終演後にホーダ。
2回目とあって先週ほどの大人数ではないが、ギターのヤマンドゥも加わり充実したアンサンブル。彼らは「ほら、弾いて。何を弾くの?」と促してくれる。私はまだ慣れない楽器で不安に思いつつアリー・バホーゾの「ショランド」を弾き始めると、皆あまり知らないらしくルシアーナのカヴァキーニョのみでギター伴奏がつかない。すぐさまビールを飲んでいたマウリシオがかけよってきて美しいギターを奏でる。古典ショーロの復興に力を注いでいる彼だが、その曲目インデックスたるや、並ではない様子。弾き終わると曲の美しさに嘆息すると共に、さすがマウリシオ・・とヤマンドゥやルシアナも関心した瞬間でした。
リオ篇 1月26日(月)
朝から地下鉄に乗り、楽器屋さんのあるシネランジア駅でおりる。歩いて5分ほどの場所にそのマンションはありました。
部屋に迎え入れられ、奥から出て来たのは40歳前後の楽器職人フェルナンド。事情を話し、いくつか楽器をみせてもらう。最初にすすめられたのを弾いてみると、なかなか響きが良い。しかしそんな良い物を買う余裕はまったくないので「一番安いのを出して」と頼むと、1940年代の楽器を出してくれた。
弾いてみると・・うぅ、見事に鳴らない。それでも値段は今回の旅に持って来たオモチャ並の楽器の5倍はしてしまう。「日本にはメインのを置いて来ているし、お金もないから高いのは買えない」と話し図々しいことに「このへんに、良くなくていいから安いのをうっているお店はない?」などと聞いたら、なんと親切に電話帳を調べながら教えてくれました(なんかこうやって書いてると自分のケチ具合を再認識してしまう・・)。1940年代の楽器は保留ということにして紹介してもらった楽器屋に行くことにする。
行き先は楽器屋が集中しているカリオカ通りだったので歩いて移動。このあたりの楽器屋さんはいわゆるポピュラー楽器を中心とした品揃えで、ヴァイオリンを置いているお店は少ない。でも、教えてくれたお店にはありました。おじさんが2種類出してくれる。本体に弓とケースがついたセットになっていて、試していいということで弾こうとすると、まずチューニングするにも一苦労。安いには安いが、とにかく造りが悪く「とりあえず」というにも苦しい楽器(輸入品です)。まぁその値段で作れといわれてもとても出来ないことなので、仕方がないという気はしました。
ここでも保留にしてチェーンのカフェ「マテ・レオン」で休憩。マテ茶を飲みつつ考える。
経済状況からすると安い方。でも手を加えてもどうにもならないほど、良くない。1940年代のは弾きこめば鳴りそうだから仕事にも使える。でも高い・・。
ここで母に電話。事情を話すと仕事で使える方が良いのでは、と言われる。そうそう、そうだよねー!ついに借金の申し入れ!!そして銀行で大金をおろしフェルナンドのもとへ直行。ニコラにお礼の電話をし、喜んで帰宅。さあ楽器を弾きこまねば。
リオ篇 1月25日(日)
とりあえずネットカフェに行ってみる。でも「ヴァイオリン販売」で検索をかけてもヒットするのはサンパウロのお店ばかり。う~む、本当にリオに弦楽器のお店があるのかな?
ここで説明しておきますが、ヴァイオリンと言ってもブラジルに持っていったのはオモチャ並の超安物に手を加え、なんとか音を出せるようにしたもの。決して高級なものではなかったのでご安心を。…とは言うものの、一緒に日本を発ち、一緒に数週間過ごした楽器。愛着はあったしヴァイオリンのあんな姿を見たのは
初めてで、本当に悲しかったです。
午後になってニコラに電話。するとセントロに一軒だけあるという。なるほど日本でもそうであるように、マンションの一室を借りて看板を出さず、宣伝もあま
りせずに弦楽器工房を営んでいるのだ。もしも昨日のパーティにニコラが来ていなかったら見つけることはできなかったと思う。本当にもう、大恩人です。明日の朝一番でセントロに行くことを決意し、就寝。
リオ篇 1月24日(土)
今日は大物怪物ギタリスト・ヤマンドゥの誕生日パーティ。「いいミュージシャンが沢山集まるから来なさい」とホジェーリオにすすめられ、コパカバーナから
遠く離れたヘクレイオという土地へ。ヘクレイオに行くにはまずバスでバーハ・ショッピングまで行き、その後はタクシーで向かわなければならない。
悲劇は最初のバスで起こったのでした。宿近くのバス停から乗り、すぐに料金を支払い右手にバッグを持ち、左手にお釣りを受け取ったその瞬間、猛スピードで走っていたバスが急ブレーキで停まり、私は背中からものすごい勢いで床に叩きつけられたのです。
背中には楽器をしょっていました。左腕は痛み、ショックで頭の中は真っ白になり起き上がれない。すぐさま近くのバス停から乗って来た青年が小銭を次々と拾
い集め、私の体を優しく抱き起こしてくれた。運転手も車掌も心配はしてくれたけど、心配するならあんなスピード出さないで~!
バーハ・ショッピングに着いてバスを降りる時、車掌が親指をたてつつ「大丈夫か?」と聞いてきたので泣きそうになりながら親指をたてて「大丈夫」と答えましたが、大丈夫ではなかったのです。タクシーに乗り換えて楽器のケースを開けてみると、魂柱(表板と裏板の間に立ち響きをつくる木の柱)が表板をつきさし、楽器はまっぷたつに割れていたのでした。もはや修理不可能。
やっとの思いでパーティ会場に着き事情をホジェーリオに話すと、フランス人ヴァイオリニスト・ニコラが「僕のを使って」と優しい笑顔で楽器を手渡してくれ
た。すでに行われていたホーダ・ジ・ショーロの輪に入り、数曲ショーロを演奏してあとはニコラにバトンタッチ。聞いていたとおり有名人がわんさかいて「ト
リオ・マデイラ・ブラジル」のゼー・パウロ・ベッケル(ギター)、バンドリンのアミウトン・ジ・オランダ、ルシアーナ・ハベーロ(カヴァキーニョ)、大物
サンバ歌手のバックを多くつとめるジルセウ・レイチ(フルート)、「ノ・エン・ピンゴ・ダグア」のマリオ・セーヴィ(クラリネット)などなど。
でも一度返した楽器を「また貸して」とは言えず、なんだか手持ちぶさた。そしてニコラはとても親切に「リオにある楽器屋を知っているから明日電話して」と言ってくれました。
パーティの後は車でラパの『カリオカ・ダ・ジェンマ』へ移動。タニア・マシャードという女性サンバ歌手のライブでホジェーリオやセウシーニョたちがバック
をつとめるのだ。楽器があれば弾く予定だったのに…セウシーニョに「楽器を持っているときはタクシーじゃなきゃ駄目だ」とおしかりを受ける。ごもっともで。傷心のまま3時頃帰宅。
リオ篇 1月23日(金)
今日もレッスン。ここから帰国まで、週2回ペースでのレッスン生活が始まる。
昨日のレッスンで学んだ事。まずコーヒーはカップに少なめに注ぐこと。そして砂糖は多めに用意すること。ブラジル人の習慣だそうです。
この日「もし2月の終わりまで滞在できるなら、アジェノールのCDの録音に参加できるんだけど…」と言われる。なんと光栄な!!なんと嬉しいこと!!…でも、私の帰国はカーニヴァルで諸々の値段が高騰する2/21より前の予定。
むむむぅぅ。こんなとき、なかなか簡単に答えはだせないものだ。予算の問題もあるし、2月末には東京での本番やショーロの練習会もある。
うむむむむうぅぅ。悩んだ末、東京の母に電話。お金は足りなくなったら送るから、と背中を押してもらう。本番とショーロ練習会の方もそれぞれ関係者に連絡し、快くOKしてもらい滞在延長を決意。皆さま本当にありがとうございました。
リオ篇 1月22日(木)
お菓子など用意してみる。いつもよりちょっと念入りに部屋を片付けてみる。
ホジェーリオが住んでいる場所は、リオの中心街からは海を渡るニテロイ(海上高速道路か船を利用)。コパカバーナからニテロイへ通うのは車があってよほど
住み慣れていないと難しいという。彼は仕事でしょっちゅうリオに来るから、と快く出張レッスンを引き受けてくれのでした。
レッスンといっても、私のレパートリーをとにかくひたすら一緒に弾いてもらう。問題は言葉(帰国後の今、この頃の録音MDを聞くとほとんど全くといってい
いほどしゃべれていない。ホジェーリオはよく耐えてくれたものだと感謝を新たにしてしまう)。それでも、一緒に音楽していると楽しくて2時間はあっという
間にすぎていく。ライブの前に彼はどこかへ行くらしく、夜に『ダーマ・ダ・ノイチ』で落ち合うことに。
こちらも夜のライブ前にTさんと共にセントロの路上ライブへ。道の中央にテーブルと椅子をおいて、そこで飲み物を飲みながらショーロ演奏を聴ける。ここで
もカンジャとして演奏。クラリネットのフイ・アウヴィンもやってきて、何曲か一緒に演奏。フイはポルトガル人だが小さい頃からブラジルに住んでいる。
ここでゆっくりしてしまったため、フイの車で『ダーマ・ダ・ノイチ』に着いた時はライブ前半はすでに終了、メンバーから「散歩してきたの?」と言われる。ブラジル人に遅刻を指摘されてしまったのでした…。
リオ篇 1月21日(水)
休日。近所の商店街を散歩し、パン屋でパルミット(ヤシの若芽)の入ったパステルという揚げ物と、鶏肉入りのパンを買う。でも味は…イマイチ。サンパウロでの食べ物は全然ハズレがなかったのに、ここで美味しいパンを探すのは大変でした。
夜になってギターのホジェーリオに電話をする。先週ライブで一緒に弾いたときの感触が忘れられず、週一回一緒に弾くだけでは物足りないと思ったから。とにかく一緒に弾きたい。辞書をひきひき言うことをノートに書いて、ドキドキしながら宿の一階にある公衆電話へ。
携帯電話に出たホジェーリオはこちらの言ったことはすぐに理解してくれた。でも彼が言ってくることはさっぱりわからない。ちょうど電波が悪かったらしく一
度切れたので、これは!と部屋へ引き返し、一緒に旅していた歌手の片山淑美ちゃんにお願いして再び交渉。以前からポルトガル語経験のあった淑美ちゃんはさ
すが。結局2時間の出張レッスンという形で、翌日から来てくれることになったのでした。ちょっと緊張ぎみで就寝。淑美ちゃん、ありがとう!
リオ篇 1月20日(火)
今日はTさんのご案内でクララ・ヌネス劇場へ。この日からトータルで5回、毎週火曜の夜にショーロのコンサートが行われるのだ。5枚つづりのチケットで約1500円。1回ずつ買うよりもずっとお得だ。
コパカバーナから車で10分ほど走ると、ラゴア(湖)に近いショッピングセンター内にこの劇場はある。ショッピングセンターといえばお買い物!しかしTさんは男性だったため、あまりその方向に走らずに終わる。
ホールでショーロが演奏されることは珍しい。演奏された曲も、今回の企画者でギタリストのマウリシオ・カヒーリョによるアレンジ、オリジナル曲がほとんどで、演奏者全員が楽譜をみているのもアカデミックな雰囲気。
出演者はマウリシオと共に2004年4月に来日したペドロ・アモリン(バンドリン) &
ルシアーナ・ハベーロ(カヴァキーニョ)、ほかにマルセロ・ベルナルデス(フルート。シコ・ブアルキのバックを長年つとめた)、ペドロ・パイス(クラリネット)、フイ・アウヴィン(バスクラリネット)。素晴らしく、そしてアカデミックな演奏でした。会場の緊張感がとけたのが終演後にロビーで行われたホー
ダ・ヂ・ショーロ。今日の出演者も含め、ものすごい数のミュージシャンが輪になっての大団円。ホールなのに全部終わった時は12時をすぎてました。みなさんお元気ね…。
リオ篇 1月19日(月)
リオ篇 1月18日(日)
リオ篇 1月17日(土)
今日はすべてTさんのご案内で、ショーロ関連で3件ハシゴ。
朝、セントロにある楽器店「バンドリン・ヂ・オウロ」へ。ここの二階でホーダ・ヂ・ショーロがあるという。楽器をいきいきと弾くおじいさんたちにまざり、一人若者が。彼はチアーゴという16歳のカヴァキーニョ奏者。それにしても全然知らない曲がたくさんあることを再認識。誰も譜面を使わず、よく覚えてます。
2件目は「ショーロ・ナ・フェイラ」のライブ。フェイラ=露店。そのまま、演奏している彼らのグループ名にもなっているのだ。文字どおり屋外でのショーロ
には黒山の人だかり。フルート、カヴァキーニョ、ギター、パンデイロという編成で、魅力的な演奏。特にフルートのフランクリンのアドリブは素晴らしい。私
も数曲一緒に弾かせて頂いた。
昼寝してから今夜もラパへ。お店は『アルマゼン161』。アルマゼンとは倉庫のこと。昔本当に倉庫だったそうで、天井には様々な電灯が。しかも一つ一つに値札がついているから売っているらしい。大変ユニーク。
ライブは昨日と同じテレーザ・クリスチーナ。ただし今日はショーロ演奏も多め。ライブ後半で「カンジャ」として3曲弾かせてもらう。やはりヴァイオリンで
のショーロは珍しいらしい。演奏後、色々な人から声をかけてもらう。泣いた女性がいたと聞いた。出逢った人達はみんな温かかったです。
Tさんがテレーザ達と仲が良いため、ライブ終演後テレーザとペドロ(パンデイロ)も一緒に食事に行った。私はそんなに有名な人とは知りませんでしたが、本
当に屈託のない、人なつっこく親切な人達で結局宿まで送って頂いたのでした。写真とかサインを沢山もらっておけばよかった…。
リオ篇 1月16日(金)
昨晩の興奮と疲れが残り、宿でゴロゴロ。とはいえ、ライブでちゃっかり録音したMDを聴いておさらい。う~む、コードをとるのは難しい。
リオで初めてネットカフェに行く。一時間で260円くらい。サンパウロより少し割高かな?PCの数はかなり多く、さすがに観光地らしく充実している。店員がお客さんと交わす英語も流暢。
出張でリオにいらしていたTさん(ショーロの練習会の生徒さん)から連絡があり、テレーザ・クリスチーナという女性人気サンバ歌手のライブがあるという。彼女のグループはショーロ演奏も得意としているそうなので出かけることにする。
お店はやはりラパにある『カリオカ・ダ・ジェンマ』。初めてサンバを踊りまくるお店に行ったが、なんという大混雑!芋洗い状態!!
サンバのお店だからか、ショーロ演奏はほんの少し。すぐにテレーザ・クリスチーナの歌で大盛り上がり。聞き入るというより、どさくさにまぎれて私も踊りまくってしまった…。
リオ篇 1月15日(木)
午前は観光。市立劇場、国立図書館、国立美術館などを知人に案内して頂く。美術館では、私が今まで見たヨーロッパ絵画(もちろん日本でひらかれた絵画展)
では感じたことのない、何か新鮮なものを見たような気がします。ブラジルの歴史について描かれた作品も多く、勉強になりました。
夜はいよいよリオ音楽シーンの中心地、ラパへ出陣。前の週にホジェーリオに誘われたライブに向かったのです。
ラパは中心街近くに位置し、数多くのライブハウスが乱立する地域。ここへ行けば毎晩でも、必ずどこかのお店で一流のミュージシャンの演奏が聴ける。しかし犯罪も多発する、要注意エリアの一つでもあります。
『ダーマ・ダ・ノイチ』という名のそのお店は新しくてきれい。夜9時頃着いたけど、メンバーはパンデイロのセウシーニョ一人しか見当たらない。よくあることだそうでどうやら雨のせいで(?)遅れているらしく10時を過ぎてやっと全員集合。
ライブはホナウド・ド・バンドリン、ギターのホジェーリオ、パンデイロのセウシーニョという三人(いずれも昨年来日)によるショーロ演奏で始まり、数曲後
に男性歌手のアジェノールがサンバを歌い出す。す、すばらしい演奏、そして歌。楽器は持ってきたけど、聴けただけでいいやぁぐらいの幸福感。
そしていよいよライブ後半「カンジャ(=飛び入り)」として演奏させてもらうことに。三曲弾いたところ、遠い日本からやってきたことを喜んでくれたので
しょう、メンバーもお客さんも大喜びしてくれました。そして、演奏を終えてステージから降りようとしたら制止された。「座ってろ」と。
へ??
どうやら弾き続けろということらしい。自分が知っているショーロの曲はいいけど、やがて歌手アジェノールの出番。あのぉ、有名なサンバはわかるけど、この人のオリジナル曲なんて知らないんですけど・・
へ??聴きながら弾けって???
ご無体な・・。かくして、ショーロ、サンバはポピュラ-音楽だと体感するべく、帰国までの毎週、このメンバーのライブで弾くことになったのでした。
リオ篇 1月14日(水)
今日の目標は地下鉄に乗って銀行へいくこと。宿から最寄りのシケイラ・カンポスという駅まで、歩いて15分強。途中のショッピングセンターに立ち寄ると、
どうも照明が暗い。お店の数もイマイチ。何も買わずに駅へ向かう。乗車賃は均一で、その路線のどの駅まで乗っても片道約70円。
カリオカ駅に着き地上へ出ると、かなり人出が多く活気がある。このあたり一帯はセントロ(中心街)と呼ばれていて、やはりそれだけのことはあるのだろう。しかし、ここのショッピングセンターも暗い!
そして当面の日用品を買いに、タクシーでリオ最大のショッピングセンター「RIOSUL」へ。さすがに広い。お店の数も多い。でも…照明が暗いのです。この時「誰もブラジルで買い物にハマって帰らない謎」がとけたのでした。
それは、街の違い。なんとなく聞いてはいましたが、サンパウロは働いて美味しいものを食べ、おしゃれな服を着る。リオはどちらかといえば遊び、海で泳いで
音楽を楽しむ観光地。そう、私のまわりのブラジル帰りの人達はほとんどリオ帰りだったのです。現に私も、これから徐々に音楽に時間を費やすようになるので
した。
リオ篇 1月13日(火)
リオのサントスドゥモン空港は、海の近くにある小さな空港。降りた時から海の匂い。
そして大きな空が広がっていた。空港からタクシーで宿に向かう間、写真でしか見たことのなかった「ポン・ヂ・アスーカル」が見えて感動(またもや小心者で写真撮れませんでした!)。
一大観光地・コパカバーナ海岸に建つアパートメントホテルは、高級地とは思えないほど良心的な低価格。部屋も広いしエアコンつき。でも枕が湿気ていて、ああ海の近くだなぁと実感する。
昼寝した後、裏の洗濯屋へ。台所や冷蔵庫はあるけれど、洗濯機はないので手洗いのもの以外はお店に出します。そこで働くガードマンの青年がやたら人なつっ
こく、お客で来ていた近所の女性たちと共に談笑。いえいえ、ここまで人の後にくっついて会話をすべて任せていた私は、この時点ではポルトガル語はほとんど
話せず、おはよう、こんにちは、こんばんは、あとは買い物ぐらいでした…。
サンパウロ篇 1月11日(日)
サンパウロ篇 1月10日(土)
サンパウロ篇 1月9日(金)
実は、運命の日。
雑誌「Veja」によるとパウリーニョ・ダ・ヴィオラ(国民的サンバ歌手)とノ・エン・ピンゴ・ダグア(モダン・ショーロを代表するグループ、全員凄腕)が一緒にコンサートをするというので、近くのホールへ。
圧倒的な音楽性、技術の高さに加え、憧れのパウリーニョの生歌・生演奏も聴けて大興奮。興奮して写真撮るの忘れた…。
そして終演後、ギターのホジェーリオ(昨年夏に来日していた)と話をしたら「リオに来るならライブをやるから、一緒にやろう」と言われ、びっくり。(普通、音を聴いてもいないのに一緒になんて・・私なら言えません)
これが、思いもよらなかったリオでの音楽生活のきっかけとなったのでした。
サンパウロ篇 1月8日(木)
サンパウロ篇 1月7日(水)
毎日の日課は、両替所へ行き持ってきたドルをレアルに両替すること。少しずつ相場が変動します。
初めて近所のインターネットカフェへ。人なつこい女主人が笑顔で応対してくれる。30分で110円くらい。
今日はイビラプエラのショッピングセンターへタクシーで。少し遠い。
昼食はイタリアン。ここの建物はすばらしい。広くて、きれいで、お店の数がハンパじゃなく多い。ブラウス、ベスト、ジーンズ。全部で三千円台。
サンパウロ篇 1月6日(月)
宿の朝食はおいしい。パン数種類、濃いフレッシュジュース、ハム、チーズ、フルーツ、そしてコーヒー。食べ放題なのです。食べ過ぎてしまうのです。
セントロ(中心街)のショッピングセンターで昼食。すぐ近くの市民劇場で撮影。
サンパウロは450年のお祝いムード。何してから450年?わかりません。
近くのCDショップへ。当然ながら日本ではお目にかかったことのない色々なCDをゲット。7枚買って5千円強。
その後たくさん歩く。有名なセー教会や歴史的な建物が並ぶ。素敵な街です。
東洋人街リベルダージへ行ったが、一緒だったMarcos(Yuriの旦那さん)が数人の男たちがつけてきている、と言ったのでこわくなった。無事帰る。
サンパウロ篇 1月5日(月)
朝9時すぎにサンパウロに到着。成田出発から、機内で2度も朝日を見る。
飛行機から町並みを見下ろして一番おどろいたのは、家々の屋根がみんな赤いことだった。きれい。
空港まで迎えにきてくれた、ポルトガル語のMarie先生、その姪のYuriとともにパライーゾという地区に向かう。先生が探してくれた宿は先生宅のすぐ裏。かわいらしい建物で、宿の人も親切。
夏服に着替え、ポルキロ(量り売りのレストラン。ブラジルでは一般的)初体験。アラブ系の料理でとても美味しかった。
近くのパウリスタ・ショッピングセンターに連れていってもらう。美しいワンピースが三千円もしない。即買い。貧乏性ゆえ価格は書き漏らさない。
初めての海外の地、カメラを出すのもこわくて写真を撮れませんでした…。