江藤有希
ヴァイオリニスト、作・編曲家

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リオ篇 2月21日(土)

今日から24日までカーニバル。ラパより西に位置するサンボードロモといわれる地域でかの有名な”リオのカーニバル”は行われる。数日前からコパカバーナ近辺も騒がしくなっていた。とにかく人が多くて道路も渋滞。
タクシーに乗るとドライバーに必ず「カーニバルには行くの?行かない方がいいよ~、危険だから」とさとされる。とにかく人が沢山いてよほどあたりをよく
知っている人がいないと危ないという。うーむ。せっかくだから観に行きたい気持ちもあったけれど、コパカバーナでさえこの人ごみ。遠慮することにしまし
た。
午後はレッスン。

 夜は『カリオカ・ダ・ジェンマ』でホナウド、ホジェーリオたちが演奏する。歌手はいつものタニア・マシャード。一応楽器を持って行ったけれどカーニバル初日とあっていつにもましてものすごい数のお客さん。テンポの速いサンバで盛り上がり続け、インストをしっとり演奏している場合ではなさそう。本日はカンジャなし、というわけでボヘミア飲みつつさんざん踊りまくりました。

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リオ篇 2月20日(金)

今日は日本の保険会社に電話。海外旅行損害保険に加入して出発したけれど予定より半月延びてしまったので。ところが、私の勘違いで期限をすでに過ぎていたため延長扱いにはならず新規申し込みになってしまった。予定外の出費。トホホ・・

夜、由香さんに誘われコパカバーナ海岸に面したアラビア料理店で食事。ジュニオールやマイコ、他に共通の友達だという新婚カップルも来ていた。

実はこの後パゴージ・ジャズ・サルジーニャス・クラブというかっこいいグループのライブがあり、ホジェーリオがゲスト出演するという話だったので皆を誘ってみた。すると由香さんは賛同、ジュニオールは翌日仕事があるため(病院勤務なので)今日は帰るという。ホテル勤務のマイコも同様。
で。。。由香さんと私、女二人で行こうとすると由香さんの彼氏ジュニオールがものすごく心配して止めようとする。タクシーで行くから、と説得してもいい顔をしない。「ラパには色んなヤツがいて、何が起こるかわからない。そんなところに女性二人で行くなんて」と納得してくれない。でもお店まで行けばホジェーリオがいるし私はどうしてもライブを聴きたかった。由香さんも行きたいと言ってくれて結局ジュニオールがしぶしぶ友達のタクシー運転手に電話して、レストランまで迎えに来てもらった。ふー。愛ってすごい。でもそのくらい心配になってしまう環境なのかも。

『ヒオ・セナリウム』に行くとすでにライブは始まっていて、ものすごい盛り上がり。
件のグループはリーダー格でバンドリンやカヴァッコを繰るホドリーゴ・レッサが歌をうたっている。これには少し驚いたが、私の中では前衛系カッコイイバンド代表、サウンドは期待通り。ステージ前のダンススペースで踊りつつボヘミアを一本飲み干す。
終演後はホジェーリオと由香さんと三人でお店をうろうろ廻る。ここのお店のことはホジェーリオも褒めていたけど、本当に美しくてユニーク。
三階建ての吹き抜けで床や階段はギシギシ、かなりのアンティークぶり。三階は昔薬局だったそうで棚に薬瓶を飾りそのままの雰囲気を残している。興味深い調
度品の数々、凝ったディスプレイ。とっても雰囲気のあるライブハウスでした。あ、ちゃんと無事に帰宅しましたから。

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リオ篇 2月19日(木)

夜に『ダーマ・ダ・ノイチ』。このメンバーでこのお店でのライブは今日が最後だという。
その前に徒歩15分の由香さん宅へ晩ご飯をごちそうになりに伺う。何品もそろった彼女の手料理はとっても美味しくて久々に日本の家庭料理を頂いた感じでした。そしてライブにも一緒に行ってくれることに。由香さんはこちらの先生に師事してレッスンを受けたり、ご自分も生徒さんをもってレッスンしたり、個人練習や演奏活動に向ける準備など常に忙しくされているけれど、面白そうなライブがあるとこうしてつきあってくれるしサンバを踊るのもとっても上手。もちろんポルトガル語も堪能で本当にカリオカ(リオっ子)という感じなのです。

さてお店に着いていつものようにライブ開始。最近買い集めて聴いていたノエル・ホーザ集のおかげで、最初の頃よりもメロディやコード進行に慣れてきた。アジェノールからもらった彼の作品集も随分聴きこみ、他のメンバーとも顔を見合わせながらアンサンブルを楽しむ。

そしてライブ後半、フルートのエドゥアル
ド・ネヴィスがカンジャで参加。皆からエドと呼ばれている彼は、一昨年エポカ・ヂ・オウロと共に来日。フルート、サックス共ものすごいアドリブ能力。そしてこの日はセウシーニョの息子エドゥアルドも参加。二人のエドがカンジャで演奏している間、セウシーニョと私は客席でちびちび飲む。セウシーニョは私の楽器をもって楽しそうに初ヴァイオリン。でも安定させるのが難しいらしく段々ジプシーみたいに肩より下に楽器がきて降参。

途中からホテルの日本人客をつれたマイコも登場し、一緒に踊り始めたあたりで再びステージから呼ばれる。ライブ終演後は記念に写真撮影。楽しいライブでした。

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リオ篇 2月18日(水)

最近、毎週ライブに出るのに服が足りなくなってきたので買い物に出かける。
時々近所の商店街で買うこともあったけれど、しっかり選びたい時は大型ショッピングセンター「RIO SUL」へ。路線バス一本でいけるので大変便利。この頃にはバス恐怖症もだいぶ払拭される。
広いフロアを一通り見てまわり、気に入った服を購入。クレジットカードで支払いするために漢字で署名したら店員さんにすごい反響。漢字が美しいというのだ。途端に精算作業そっちのけで「私の名前を漢字で書いて!」とすごい勢いで頼まれる。すると店中からわらわらと店員さんが出てきて次から次へと頼まれ
る。後で他の日本人に見られてあまりイメージの良くない字を使うのもなんだし、なんて思いながらなんとかこなし、そのお店にいた10人近い店員さんの名前を書き出す。結局カードリーダー不具合で(こういうこと結構多かったです)現金で支払いました。意味なし。
でもお店を出るときお礼に、と冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを頂きました。ごちそうさまでした。

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リオ篇 2月17日(火)

レッスン。ピシンギーニャを語ると熱弁の止まらないホジェーリオ。今日は先週のニテロイのお宅で出たミナス料理の話から食べ物の話題に。ホジェーリオは生魚が食べられないらしく、前年来日した際、日本料理屋では何も食べられなかったそうです。残念。
さて本当にレッスンが始まると、ブラジルを代表する作曲家の話。アリー・バホーゾ、ドリヴァル・カイミ、ノエル・ホーザの三人を挙げてその特徴を解説してくれる。やがて歌詞つきショーロの話題となると、彼は後から歌詞をつけられた曲が苦手だそうで歌詞を考えながら作られた歌がしっくりくるという。そして即興で弾き語り。「♪淑美はアデミウジの家へ行き、由香はレッスンで忙しい、有希とホジェーリオはレッスンでコパカバーナ~」とかなんとかなかなか面白い。
といってもいつもこんな風に遊んでばかりいるわけでもなく、しっかりショーロの曲も弾いているわけです。でも言葉の勉強になるので会話も重要。最近教わっているのは「ジーリア」と呼ばれる俗語。どこの国にも存在すると思うけど、やはり色々な表現があって興味深かったです。

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リオ篇 2月16日(月)

休日。お酒の話でもしましょう。

私は元来、下戸であります。好きじゃない、とかではなく本当に飲めません。親もそうだったのでおそらく遺伝。ビールやワイン、お酒の種類によらず飲むと呼吸が苦しくなるので、よく分解酵素が足りないんですね、と言われます。
ところが。ここブラジルで何度か友人たちとライブハウスに行った折、「まぁちょっと飲んでみなよ」という誘いにのってダメモトでビールを飲んでみたところ、何やら口あたりがよろしい。う~ん、甘い。
その銘柄は「ボヘミア」。小ぶりな瓶に入ったビール。これを機に体調が良いと思われる時は試してみるようになった。他の「ブラーマ」「アンタルチカ」など多くの人が一番美味しいと挙げる銘柄とは違うけれど、ボヘミアは私のお気に入りとなりました。

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リオ篇 2月15日(日)

この日はエポカ・ジ・オウロのギタリスト、セザール・ファリャの85歳の誕生日。コバウでパーティライブがあるとホナウドに誘われ夕方、会場へ。コバウは
常設野菜市場。その一角にいくつか飲食店があって、その中のひとつ『エスピリト・ド・ショッピ』では毎週ショーロ・ライブが行われている。今日はその場を借りて、という形。
一応楽器は持って行ったものの、まぁすごい人たちが出演するでしょうから、関係者から「弾くの?」と聞かれても「わ、わかりません」と答えてしまった。ホナウドが到着し「弾くんだよ」と言われ、覚悟を決める。

続々とミュージシャンが集まり、ライブも始まる。毎週演奏しているグルッポ・サラウはまだ20代前半のブルーノ・ヒアン(お父さんが有名なバンドリン奏者
デオ・ヒアン)がひっぱっている。お父さんゆずりの端正さに遊び心も加わっていて素晴らしい。でも後ろにどんどんミュージシャンがひかえているので慌ただ
しく交代。
エンヒーキ・カゼス登場。そしてバンドリンのジョエル・ナシメント登場。この人の演奏大好き!エンヒーキと一緒に何曲か演奏。相変わらず自由にやらかしてくれます。そしてクラリネットのパウロ・セルジオ・サントスだ!さすがです。パウロ・セルジオの演奏はCDで聴いてとても好きだったけど、やはり素晴らしい。

さて、なんだかすごい人ばかりステージに出て来るけど、あんまりすごい人たちの後で呼ばれるのもなぁ・・と思いつつ楽器も用意して待っているがいっこうに
呼ばれない。するとホナウドが「エポカ・ジ・オウロが一曲弾いたら君を呼ぶからね」と言う。あ、そうですか。え?あ~・・と、一瞬意味がわからなかった。

そして。エポカ・ジ・オウロ登場。みんなリラックスした服装で配置につく。
そして音が出ると・・抜群のアンサンブル、ホナウドの素晴らしいソロ、七弦トニの遊び心、ジョルジーニョのアグレッシブかつ揺るぎないグルーヴ!幸せ気分倍増。と、ここで本当にホナウドに呼ばれる。なんと、エポカ・ジ・オウロをバックに演奏することになってしまったのだ。
お客は満員。立ち見も大勢。客席には先程の演奏者やヤマンドゥ、デオ・ヒアン、アミウトン・ジ・オランダもいる。さすがに緊張するが、エポカの音が鳴り始めた途端、幸せになった。「ヴィブラソニス」「サンバのレシピ」を演奏。後ろでトニの七弦低音がうなる。きゃ~楽しい!メンバーとアイコンタクトしながら、時にトニがソロをとったりホナウドがからんできたり。老練セザールや昨日知り合ったカルリーニョスと一緒に弾けたのも貴重な経験。演奏が終わりいっきに緊張がとけると共に色々な人から声をかけられた。
この二曲を演奏した時の感覚は今でも忘れられません。ホナウドに感謝!

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リオ篇 2月14日(土)

今日は初ニテロイ。ホジェーリオに誘ってもらいホーダ・ジ・ショーロへ。
まずセントロにあるプラッサ・キンゼまでタクシーで行き、そこから船にのる。
なんとなく緊張しつつ船の切符売り場に並び、チケットを買う。ニテロイまで200円しなかったと思う。船着き場には大きな船。去年の芦ノ湖観光船以来だ。
昼の12時に出航し、乗っている時間は20分ぐらい。お天気も良く非常に快適、船からの眺めがとても気持ち良かったです。
ニテロイに着き、待ち合わせ場所「アラリボイーヤ銅像」の前にいくとホジェーリオが通りの向こうから手招きしている。ホジェーリオの車で目的地に向かう。
出発したのはニテロイのセントロで、リオのセントロとはまたちょっと雰囲気が違う。車は海岸沿いに進み、UFOみたいな形で有名な美術館、大学ホール、いくつかの海岸を通る。
ホジェーリオがそのつど土地の名前を説明してくれるのだが「イカライ」「トゥピナンバ」などなんとも不思議な感じの名前。インディオが最初につけた名前だそうだ。途中、いきなり「ここはサンフランシスコ海岸だ」と言われ、ずっこける。まぁ聖者の名前ということでしょうけれど、あまりに雰囲気が違って。それにしてもニテロイの風景は素晴らしい。緑も多くて空気もおいしい。とってものどかで大好きになりました。

さて目的地は静かな住宅街にあるお家。それぞれの家の庭には美しい草花が日にてらされて、まぶしいばかりだ。ここではしょっちゅうホーダ・ジ・ショーロが
行われていてるらしい。ホストはカシャーサ(かなり強いお酒)通だそうで、挨拶がわりにちょっとだけなめたけれどカッと熱い。まったくの下戸なのであとは遠慮する。
食べ物はミナス料理。フェイジョアーダなども普通とは色や香りが微妙に違う。色々なお料理があってすべてが美味しい。デザートは全種類制覇。カボチャを使ったお菓子が独特の食感で気に入った。
続々とメンバーが集まり、バンドリンのホナウド、そしてホナウドの弟でホジェーリオの兄にあたる(名前は忘れた)パンデイロ奏者、フルートやサックスを4
本も持参したジルセウ・レイチ。皆好きなようにビールやカシャーサや用意された美味しい食べ物をとりつつ、次々と演奏していく。


 ホナウドが「モンティのチャルダッシュを弾け」というので久々に弾く。他の人たちもパッと弾けちゃうんだからすごいなぁと思う。驚いたのはカルリーニョ
ス・レイチというギタリスト。なんとジャコー・ド・バンドリンの録音のほとんどに参加していたという。80歳を越えているが、そんなふうに思えない演奏はさすが。なんともいえない味わいがあり、所々忘れた曲もあったようだけれど、一緒に演奏していて目があった時のおちゃめな笑顔など、とても楽しかった。 この日、ホナウドの膨大なレパートリーに呆然とする。次々と出てくるのだ。そしてカルリーニョスのギターを「貸して」ととってしまい「コードはこうだよ」と示す。そうかー、メロディーをわかっているだけじゃあんな演奏はできないわけね、と納得。

夕方近くなって、ホジェーリオがグロリア・ホテルで演奏の仕事があるというので、コパカバーナに近いので一緒に出発することにする。この日は本当に暑くて、エアコンのついていない車の中は本当に蒸し風呂のよう。行きは船だったけど、車だと海上高速道路を利用、また違った風景が目の前を通り過ぎる。ドライブ気分で楽しかった。グロリアに早めに着いたので冷たいお水を立ち飲みする。お金を払おうとしたら「ここは自分が払うから、君は日本でキリンの分を払って」とホジェーリオ。はいはい。

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リオ篇 2月13日(金)

レッスンの翌日はたいていMD聞き取り作業。何度もリピートしながら何を言われたか、書きとっていく。
昨日のレッスンではホジェーリオの個人練習の話題になって、彼は一日の練習の始めに基礎練習を二時間するという。う~ん、結構真面目だ。技術は大変重要だという。う~ん、ごもっともです。
この人、朝は追われているアレンジ作業をして(楽譜はパソコンで製作)午後にかけて練習。でも昼すぎとか夕方からスタジオ仕事もあり、夜はライブ演奏。特
にこの時期はアジェノールの録音をひかえ、結構ハードだったらしい。練習に時間があてられず不満をもらしていた。やっぱり弾く事を一番にしたいという。
ホジェーリオはよく楽譜を持って来てくれる。それを次のレッスンまでにコピーして返す。ブラジルでのコピーは大変便利で、店員さんに頼んでおくと本一冊をまるまる両面コピー、穴空け・スパイラル綴じで製本までしてくれる。昨日はピシンギーニャ集を持って来てもらったので初見で何曲か流す。
ホジェーリオはピシンギーニャを絶賛する。翌週のレッスンでさらにエスカレート、熱く語り続けてくれました。

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リオ篇 2月12日(木)

レッスン前に、もう今日の午後にはリオを発ってしまうS夫妻とランチ。そういえば私はまだ一度もシュハスコレストランに行っていない、という話からS夫妻が招いて下さり、パラシというシュハスコレストランに行く。少し早めに着いたらまだ開店前、だったらお腹をすかせようと散歩することに。近くの通りがノッサ・セニョーラ・ジ・コパカバーナだったので、知っているスーパーで色々とお買い物。ちょうど夫妻が日本へのお土産を買うということで、食材やコーヒーの銘柄のことなど、色々と詳しくて勉強になりました。
パラシに戻ると今度は開店していてお待ちかねの昼食。飲み物以外は食べ放題でバイキング形式。野菜やフェイジャン、すっかり定番になっているお寿司など、好きなだけ食べる事ができる。次々と運ばれて来るお肉を「もらいます」「いりません」と選びつつ、でもだいたいもらってしまい満腹。日本での再会を楽しみにしつつ、お別れする。レッスン後、夜に『ダーマ・ダ・ノイチ』。S夫妻が客席にいないのがなんとなく寂しい。
このあたりから、ライブの時も日本人がいない環境に追い込まれる。辞書は手放せませんでした。

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リオ篇 2月11日(水)

先週2月4日のレブロン劇場で、二人の日本人女性に出会った。二人とも20代半ば。ブラジル人男性と結婚して数年、そろって小さな子供もいる。劇場で「日本の方ですか?」と向こうから声をかけてくれた。
一人はご主人がギタリストで、日本で活躍していたこともある。レンブランサでも手伝ってもらったことのあるビーニョ(パンデイロ&フルート)とはよく一緒のステージで演奏したそうだ。帰国後話したら、ビーニョもとても懐かしそうにしていた。
もう一人はご主人がサウンド・エンジニア。スタジオや大きなコンサートでも仕事をしていて、ブラジルの音響関係の雑誌にも記事を書く。知り合って以来、奥さんが度々連絡をくれて、本当はこの日も会おうかなんて言っていたけれど、予定が合わず延期になった。
帰国後はメールでやりとり。そして秋には奥さんの実家である名古屋に一家3人でお引っ越し。東京で大々的に行われた「ショーロの祭典」には、ブラジルの雑誌に載せるからと取材にも来てくれた。
たまたま行ったコンサートが縁となりました。

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リオ篇 2月10日(火)

レッスン。相変わらずどんどん曲を弾くことの連続ではあるけれど、おしゃべりも会話の勉強になるので有難い。初回にも言われたけれど、コーヒーはお砂糖がないと飲まない、とまた強調されました。

夜はクララ・ヌネス劇場へ。今回はブラスバンドのような編成で管楽器隊にバンドリン、ギター、ドラムが加わり相当な大音量。マルシャ(行進曲)が次々と演奏されて、景気が良い。クラリネットのフイもメンバー。ドラムのおっちゃんはとっても気持ちよさそうに叩いている。ヤマンドゥもそうだけど、うまい人って本当にもう、そういう生き物みたいに見えてしまう。
終演後のホーダは、なんというか、金管楽器が思いっきりロビーで吹いていて今日は完全に尻込み。帰ろうとしたら、いつも会場で受付をしているマウリシオの兄弟(顔がそっくりで一目でわかる)に呼び止められる。
彼に初めて会った日、マウリシオの兄弟と知って「あなたもミュージシャンですか?」と聞いたら「いや、自分は楽器はやらない。ナマケモノだから」と笑いとばされた。
その彼に今日「ほら、輪の中に入って弾いて」と言われ「いやー、今日は帰る」と返したら「ナマケモノだ~!」と言われてしまいました。おちゃめな人でした。

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リオ篇 2月9日(月)

旅行会社ツニブラに電話。アフターフォローや対応の評判がよかったので、出発前にこちらの会社に決めた。東京、サンパウロ、リオにも会社があるので、やはり何かの時には安心。日本語も使えるのでだいぶ気分が違う。
出発日変更の連絡をすると、親切に対応、航空会社へ連絡して変更便の連絡をくれるという。
ああ、よかった~。
帰りの便を変えられる券にしておいて良かったのと、こういう旅行会社にしておいて良かったのと、両方の安堵感。

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リオ篇 2月7日(土)

Sさんご夫妻と待ち合わせしてセントロへ繰り出す。リオではCD屋さんに行ったことがなかったので、Sさんにお店の集まる通りに案内してもらう。近隣に同じようなお店があるけれど、同じCDでもお店によって値段がまちまちなのが面白い。なかなか良い買い物ができる。
「コンフェテリーア・コロンボ」というカフェでお茶。ここは開店当初から百年ぐらい改装もせず、ヨーロッパの雰囲気をたたえた素晴らしいお店。思わず写真を撮りまくってしまいました。とても美しかったです。

一度解散して夜は『カリオカ・ダ・ジェンマ』。実はホナウドの誕生日!プレゼントを用意する時間がなかったので、コパカバーナからつかまえたタクシーの運転手さんに何がよいものか尋ねてみる。彼の名はセルジオ。この日以来、何度となく送り迎えを頼んだひとだ。
セルジオは花が良いと言う。男性でも?そう、男性でも喜ばれるのだそうです。すっごく親しいのか、ちょっと親しいのかと関係を訊ねられる。まぁ出会って日も浅いし後者でしょう。するとセルジオは黄色のバラをすすめてきた。「いろいろな色のミックスでもいいけれど、赤は愛情を表してしまうので要注意」ふむふむ、それは要注意だ。そして彼の知っている花屋をまわってくれるのだが、時間が遅すぎたようでどこも閉店。開いているお店では鉢物ばかりだ。困り果てて次に彼が提案したのはケーキ。おお!それなら皆とわけられるし私も食べられる。ケーキをおいているお店はすぐに見つかり、タクシーを降りるとセルジオも一緒
についてきてくれる。

 最初に彼がすすめたケーキはウェディングケーキばりに生クリームたっぷり、ゴテゴテと装飾されたものだったので私がひいてしまった。そして別のショーケースに入っていたチョコレートケーキがおいしそうに見えたので「これは?」と聞いてみると、ちょっと首をひねっていたけれど「うん。まぁ、いいでしょう」と
許可がおりる。そんなこんなで遠回りしてやっとラパに到着。お金を払おうとしたら細かいお金がなく、向こうもおつりがないという。そして「いくらならあるの?」ときかれ、持っていた細かいお金を言うと、なんとそれでOKというのです。「え?時間がかかったしもっと高いはず。どこかでくずすから」と言ってみたけれど、彼は笑顔でそれだけいいという。…し、紳士とはこのことか!!こんなに色々と教えてもらい、あちこち回らせたのに…感動してしまいました。
さて到着するとライブはすでに始まっていて、ホナウドの演奏もノリノリ。例によって私も数曲弾かせてもらう。
まだ自信をもてないまま演奏。いや、こうやってこなれていくものだ、と自分を納得させる。「できてから…」なんていって何かが実現したという記憶はないかも。人が弾きなさいと言ってくれるならば、恥をしのんででも笑顔でこたえたいものです。実際、このあたりから徐々にスランプを脱した感あり。ありがたいことです。
さて終演後にケーキ登場。大きめのケーキだったので沢山の人に行き渡り、私も二切れゲット。美味しかった~。

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リオ篇 2月6日(金)

おととい不完全燃焼におわった練習の続きをしよう、とフイから言われていたのに、キャンセルされる。
こういう時は近所をお散歩。ちょっと長い名前だけどノッサ・セニョーラ・ジ・コパカバーナ通りはスーパーから洋服、家電までそろう商店街。最寄り駅のシケイラ・カンポスに行くにもシティバンクのATMに行くにも通るので、しぜんと慣れ親しんだ。
この通りにお気に入りのカフェがある。カフェというよりレストランといった雰囲気で、たぶん老舗。お店の外のガラス・ウィンドウには色とりどりのお菓子や
ケーキ、パンなどが陳列されていて、その場でジュースを飲んだり立ち食いもできるけれど、通りを10分も歩いていると汗だくになるのでつい「エアコン入ってます」と書いてある入り口にすいよせられ、いつものカウンター席に座る。
ここの店員は適度にほおっておいてくれる。買ったばかりの雑誌のライブ情報をチェックしたり、ポル語の勉強をしたり、時々店員に質問をして、それをメモして単語を覚えたりしたものだ。立ち飲みも良いけれど、ここの落ち着いた雰囲気が好きで週に1、2回は通ってました。

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リオ篇 2月5日(木)

レッスン。今日はリズムパターンのお話。符割りのことなど、結構つっこんだ内容になった。

レッスン後ホジェーリオはレコーディングがあり、夜に『ダーマ・ダ・ノイチ』で再会。
今日はいつものメンバーで、なんとなくホッとする。
歌手のアジェノールはオリジナルも充実しているけどノエル・ホーザをよく歌っていて、ライブ写真をあらためて見ると椅子のうえにちょこんと置かれた帽子が「マランドロ」という言葉を連想させて、なんだかニクイ。
そして演奏中、ショーロの練習会の生徒さんSさんご夫妻が到着。この日に着くとは聞いていたけれどハードな旅程で着いてすぐライブ会場とは、さすが三回目のブラジル旅行。
S夫人はバンドリンのホナウドの生徒さんでもある。ご主人もカヴァキーニョを弾いたりとにかく音楽が大好きなお二人。メンバーも旧知で再会を喜びあう。

この日ライブに来ていた自称ライターのブラジル人女性から声をかけられる。どうやら日本で売りだしたいグループがあるらしい。最初は言っていることをなか
なか理解できず、Sさんとともに大苦戦。ライブが終わってからもあーでもないこーでもない、と時間のかかること。結局話が通じて、まぁもらったCDを聴いてメールしますと答えた。
ということを今思い出した。あのCDどこにあるんだろう…

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リオ篇 2月4日(水)

一緒に練習をしようと誘ってくれていたクラリネットのフイに電話。ブラジル人と二人だけで出かけるのはこれが初めてなので、ちょっと緊張。コパカバーナに迎えにきてくれた彼の車に乗り込み、道中まだ慣れないポル語でなんとかやりとりをする。
フイの家はサンタテレーザという地区にあり、そこで練習するはずがなぜか子供の学校の保護者会につきあわされ校庭で1時間半待ちぼうけ。夏ですよ!夏!どうなることかと思いましたが、校庭の片隅にちゃんと日よけのある場所があって、途中からそちらへ移動。
ここは静かなサンタテレーザの丘の上。風がざわざわと通りすぎ、校庭では3人の男の子たちが懸命にサッカーボールを追っている。なんだかほんわかした気持ちになり、日よけ下のベンチで昼寝。フイも悪いと思ったようで、保護者会を途中できりあげ昼食に向かう。
すでに午後3時。サンタテレーザにあるレストランで、フイおすすめの料理は確かに絶品。このお店の壁には色々な絵が掛かっていて、フルートのエドゥアル
ド・ネヴィス(昨年「エポカ・ジ・オウロ」で来日)の奥さんの作品もあった。なかなか素敵。こういったお店の内装も素敵だけれど、サンタテレーザの坂だらけの街並は、きれいな緑と鮮やかな赤い花のコントラストが本当に美しい。カメラを忘れたことを後悔。
さて満腹になってフイの家に着いた頃には、フイの夜の予定まで残された時間もわずか。一曲だけ何回か一緒に演奏したら、もう終了。

でも、実はこのあと思ってもみなかった幸運が訪れました。セントロで上演中のミュージカル「オブリガード、カルトーラ」を観に行けることになったのです。
フイは今日は演奏しないけれどほぼ毎日このミュージカルに出演。観たいか?と聞かれたのでもちろん!と答えると、会場の担当者に電話。
「ポルトガル語をちゃんと話せない女の子がいくから」と、そういう所は確実によく聞き取れてしまうものだ。
続いて今日出演するフルートのマルセロ・ベルナルデルに電話し、何かと危険なセントロから無事帰れるように車で送ってもらう手配までしてくれたのです。なんという親切さ!

さて会場のCCBB(ブラジル銀行の文化センター)に着き、舞台が始まると…俳優陣の素晴らしい演技、無駄のない転換、珠玉の音楽、ポル語はまったく理解
できなかったのに感動、感涙にむせぶ。生演奏も素晴らしく、以前日本に長くいたニウズィ・カルヴァーリョという女性もカヴァキーニョ、ギターを持ち替えて
の大活躍。
終演後マルセロに会うと「コパカバーナに送るけど、今からレブロン劇場に行くからよかったらどう?」と誘ってもらう。面白そうなのでついていくことに。レブロンはセントロを南下しコパカバーナ、イパネマ海岸を越えた場所に位置する高級地。
劇場につくとマルセロは顔パス。私も便乗してパス。中に入ると満席なので床に座る。すでに大盛り上がりのステージはというと…なんと雑誌でチェックしてい
た「コルダゥン・ヂ・ボイタタ」という新しいバンドのCD発売コンサート。そしてゲストでテレーザ・クリスチーナやイヴォンニ・ララが出演!行きたいと
思っていたコンサートにこんな形で来れるとは。憧れの生イヴォンニも聴けて大満足。終演後はメンバーのペドロ(「セメンチ」のメンバーでもある)やテレーザと再会を喜ぶ。マルセロに無事送り届けてもらい、長く充実した一日が終わりました。


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リオ篇 2月3日(火)

レッスン後、クララ・ヌネス劇場へ。 
回をおうごとにコンサートはリラックスムード。今日はカンジャで三人がかわるがわるステージに登場。カンジャといってもメンツがすごい。フルートのアンドレア・エルネスト・ジアス(通称デダ)。フランス人だけど、ブラジル人のようなもの。お母さんもオデッチというショーロの高名なフルーティスト。そしてクラリネットのマリオ・セーヴィ。サンパウロで会った「ノ・エン・ピンゴ・ダグア」のメンバーでもある。そして、なんとなんとヤマンドゥ。こちらはソロで。

ヤマンドゥの演奏中にちょっと面白いことが起こった。いや彼にとっては不快なことだったのですが。
ある曲を演奏し始めてすぐ、客席から携帯電話の着信音が鳴り出してしまったのだ。当然客席はどよめく。ヤマンドゥも弾いていた曲をやめたのは普通だが、すぐさまその着信音をまったく同じ音程で、まったく同じようにギターで再現したのだ。間髪をいれずだったのでこれには驚きました。よく聞く着信音だとしても
そんなにすぐに再現できちゃうなんて。さすがです。
ヤマンドゥとは1月の彼のパーティ以来だったけど、ホーダ・ジ・ショーロと違ってステージに登ると、さらにその凄さが際立つ。もう、こういう生き物としか思えないのだ。聴き応えのある素晴らしいコンサートでした

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リオ篇 2月2日(月)

さて、今日は楽器調整に行かねば。一週間前にいったフェルナンドの元へ向かう。現状を話し、まず糸巻きに専用クレヨンをぬってまわし易くしてもらう。いつ
も「ギッギッ」とすごい音がするほど固かったのです。それから魂柱の位置を調整。こういう時は微妙な言い回しができないとなかなか伝わりづらいので、事前
にいいたいことを書きだしておいた。なんとか伝わり、数回位置を変えて良い感じに。弦も四本すべて交換。しかし日本でもよく売られているオーストリア製の
弦が、日本での価格よりも高くて驚いた。そういえば日本でも最近はユーロ高騰によりかなりの値上げをしていたけれど…。
うむ。だいぶ鳴りそうな予感が。上機嫌でお礼を言って退散、最寄りのシネランヂア駅前にあるカフェレストランに立ち寄る。ちょっと高級だっだけど、楽器が良くなったからお祝い!と言い訳をしてみる。

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リオ篇 2月1日(日)

今日は久々の観光。国立ボタニコ公園の近くにある滝に連れて行ってもらうことに。
メンバーはピアニストの清水由香さんとジュニオール、日本語の上手なマイコ(男性)。由香さんとは去年エポカ・ヂ・オウロが日本に来た時に彼女も帰国していて、東京のライブ会場で知り合っていたけれど、ここリオで大変お世話になりました。銀行のこと、買い物のこと、美味しいレストランのこと(大変重要)など沢山のことを教わり、よくライブにも一緒にでかけたし聴きにきてくれたりもしました。マイコはリオの一流ホテルで働きながら日本語の先生もしていて、ダンスもかなり上手。この三人とはよくご飯を食べたり遊びに行ったりして、本当に楽しい仲間でした。

朝8時に集合してバス2台を乗り継ぐ。先週の事故以来バスは避けていて、やはり最初に乗る時は体が震えてしまい、トラウマとはこういうものかと実感。途中
までは鋪装された坂道をひたすら登り、やがて木の幹やツルにつかまったりしながら道なき道をすすみ(本当に凄かったです)着いたのは、小鳥がさえずり、水
の音の響く美しい滝。
みなさん用意よく水着に着替えて流れの穏やかな滝つぼで水と戯れる。私一人水着がなくてみんなにぶーぶー言われつつ見学。でも、ここに来るまでの道のりだけでも気持ちがよく、本当に癒されました。

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リオ篇 1月31日(土)

このあたりからしばらくスランプ状態。ひたすら練習するしかない。月曜にはフェルナンドに調整してもらうことに決める。とはいえ、あまり暗い文章になるのもどうかと思うので、気をとりなおしてマクドナルドの話でもしましょう(なんで!?)。
コパカバーナ海岸から少し奥に入った通りに、マクドナルドはあります。ここの前を通るといつも思い出す話があって、それは2002年、リハーサルのためにパンデイロの長岡さんが初めてうちに来た時のこと。駅からの道中にあるマクドナルドのお店の形状が、間口は狭く、奥に向かって細長い。それを見た長岡さん
が「ブラジルのマクドナルドみた~い」と目をキラキラさせて嬉しそうに言ったのです。それを聞いてから、ブラジルのマクドナルドはどこも奥に細長いのだと
思い込んでいたけど、サンパウロでは違ったので一部のようです。でもコパカバーナのマクドナルドはまさに奥に細長く「これだ!」と思ったのでした。一度サ
ラダを買ったけど、半端じゃなく大きかったです。
ハンバーガーつながりで、よく見かけたもう一つのチェーン店が「ホブス」(ROB’Sと書きます)。海岸沿いのアトランチカ通りにもあって、夜遅くなってもお客さんがいっぱい。店員さんも皆英語の話せる若い人が多かったです。

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リオ篇 1月30日(金)

今日はレッスン。この回から録音したレッスン内容をノートに書き出すことに。ポル語のヒアリング訓練。何よりスタジオでブースに入った状態で意志の疎通ができなければレコーディングも成り立たない。ちょっと必死になってきたわけです。
そして、今日はレッスンの冒頭、厳しいことを言われてしまいました。新しい楽器はどうか?という質問に始まり・・やはり昨日のライブで思うように演奏できなかったのが伝わっていたのだ。はー。基本的で当たり前のことを言われるとこたえるものです。楽器も弾きこめば必ず鳴ってくる確信はあったけど、いくらか調整の必要も感じる。弦も替えなくては。
厳しいことを言われたのは最初だけで、レッスンはまたほのぼのムード。お互いの家族の話などをする。ホジェーリオのお父さんはパンデイロ奏者(故人)お母
さんは歌手で、5人兄弟全員が楽器をやっていて、そのうちプロ活動をしているのは3人。うちもまぁ、両親とも音楽家だったので「音に囲まれた家族。同じだね」などと言われる。

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リオ篇 1月29日(木)

今日の『ダーマ・ダ・ノイチ』でのライブは、ホナウドとセウシーニョが地方公演で不在のためメンバーが違う。歌手のアジェノールとギターのホジェーリオは
同じだけど、まずバンドリンがホドリーゴ・レッサ(「ノ・エン・ピンゴ・ダグア」「パゴージ・ジャズ・サルジーニャス・クラブ」のメンバー)。そして今日
はパンデイロではなくドラム(ブラジルではバテリアと呼ばれる)のマルシオ・バイーアが入る。マルシオは何度も日本に来たことがあるそうだ。

 私はというと、慣れない楽器で不安。特に弦を調整する”糸巻き”が固くて思うように動かせなかったり(こういうことで時間がかかるとイライラしてしまうも
のだ)演奏するにもまだ体に馴染まず、なかなか感覚がつかめない。もちろん聴いている人には楽器がどうかなんて関係ないから、ひたすら一生懸命やるだけなのですが。なんとか演奏を終えたけど、疲労感たっぷり。

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リオ篇 1月28日(水)

今日はボタフォゴ地区(コパカバーナの北に位置する)にあるセルジオ・ポルト劇場へ。ホジェーリオお薦めのアーティストがライブに出演するという。彼の名はラエルシオ・ジ・フレイタス。サンパウロの人で、作曲家でありピアニスト。
実はちょっと長くなる話があって、1月15日、初めて聴いたホナウドたちのライブで一番最初に演奏され、一発で惚れてしまった曲の作曲者がこの人だった。
MDに録音していたので昨日ホジェーリオにタイトルを聴いたところ『私達の友達”エズミ”へ』だと教えてくれた。そのあとで、サンパウロで大量に買った
CDをホジェーリオに見せて(自慢して)いたところ、一枚のCDを手に彼が言う。「このCDのタイトルにある”エズメラウジーノ”が、あの曲の”エズミ”
のことだよ」と。へ??
順を追うと、こうだ。
サンパウロで私が買ったCDは、作曲家エズメラウジーノのショーロ作品を集めたもの。そしてそのエズメラウジーノの友達だったラエル
シオが、作品に彼の名をつけた。ホナウドたちがその曲を演奏し、私は好きになった。で、作曲者ラエルシオの生演奏が今日リオで聴けるということだ。これは
行かねば!・・

タクシーで会場に着くと、入り口に若い人たちがわんさかたむろしている。中へ入ると十代にしか見えない若い人ばかり。おどおどしつつライブフロアに入って席に座ってみたが、落ち着かない。そのうちお客さんも満員になり登場したのは、なんとヒップホップのバンドではないか!えぇぇぇっ、ちょっと違うよホジェーリオ~
仕方なく一度出てスタッフに尋ねると、どうやら数バンド出るイベントらしく必ずこの後にラエルシオが出るという。ホッ。この場で待つのは難しいので出口近くに行ってみると、ちょうどTさんご登場。近くのミナス料理食べ放題の店に行き今日もまた満腹に。
さて良い時間になって再び会場に戻ると、すでに始まっていました。今日のライブはラエルシオの娘、タウマがヴォーカル。オリジナル曲の他「ラメント」なども歌ったが、曲間でスキャットする時のフレーズがまるで楽器のアドリブそのもの。ラエルシオのピアノも素晴らしかったけど、タウマに魅了されてしまった。
満足、満腹な一日でした。

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リオ篇 1月27日(火)

楽器はすぐには鳴ってくれない。朝から練習。ロングトーン、音階練習、バッハ、パガニーニとまるで学生時代のようなメニューでゆっくり楽器と仲良くなっていく。午後のレッスンで、ホジェーリオは楽器を買えたことを喜んでくれた。彼の楽器の話なども聞き、少しずつ会話がこなれたかな?
レッスン後はTさんのご案内でヴィラ・イザベルという街へ。ここは数々の名曲を生み出したサンバ界の大作曲家ノエル・ホーザ出生の街。歩道に大きな五線譜と音符の模様が描かれていて、それが彼の曲の楽譜だったりする。素敵。この街にあるレストランでちょっとしたライブがあるそうなので出かけました。でもラ
イブそのものよりお料理の美味しさに感動。お腹いっぱい食べて今度はクララ・ヌネス劇場のショーロコンサートへ移動。

コンサートは「プリンシピオス・ド・ショーロ」と銘打たれたもの。先週から始まった5回シリーズだが、毎回少しずつ趣向をかえている。今日はいくぶんリラックスした内容、そしてまた終演後にホーダ。
2回目とあって先週ほどの大人数ではないが、ギターのヤマンドゥも加わり充実したアンサンブル。彼らは「ほら、弾いて。何を弾くの?」と促してくれる。私はまだ慣れない楽器で不安に思いつつアリー・バホーゾの「ショランド」を弾き始めると、皆あまり知らないらしくルシアーナのカヴァキーニョのみでギター伴奏がつかない。すぐさまビールを飲んでいたマウリシオがかけよってきて美しいギターを奏でる。古典ショーロの復興に力を注いでいる彼だが、その曲目インデックスたるや、並ではない様子。弾き終わると曲の美しさに嘆息すると共に、さすがマウリシオ・・とヤマンドゥやルシアナも関心した瞬間でした。

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リオ篇 1月26日(月)

朝から地下鉄に乗り、楽器屋さんのあるシネランジア駅でおりる。歩いて5分ほどの場所にそのマンションはありました。
部屋に迎え入れられ、奥から出て来たのは40歳前後の楽器職人フェルナンド。事情を話し、いくつか楽器をみせてもらう。最初にすすめられたのを弾いてみると、なかなか響きが良い。しかしそんな良い物を買う余裕はまったくないので「一番安いのを出して」と頼むと、1940年代の楽器を出してくれた。
弾いてみると・・うぅ、見事に鳴らない。それでも値段は今回の旅に持って来たオモチャ並の楽器の5倍はしてしまう。「日本にはメインのを置いて来ているし、お金もないから高いのは買えない」と話し図々しいことに「このへんに、良くなくていいから安いのをうっているお店はない?」などと聞いたら、なんと親切に電話帳を調べながら教えてくれました(なんかこうやって書いてると自分のケチ具合を再認識してしまう・・)。1940年代の楽器は保留ということにして紹介してもらった楽器屋に行くことにする。
行き先は楽器屋が集中しているカリオカ通りだったので歩いて移動。このあたりの楽器屋さんはいわゆるポピュラー楽器を中心とした品揃えで、ヴァイオリンを置いているお店は少ない。でも、教えてくれたお店にはありました。おじさんが2種類出してくれる。本体に弓とケースがついたセットになっていて、試していいということで弾こうとすると、まずチューニングするにも一苦労。安いには安いが、とにかく造りが悪く「とりあえず」というにも苦しい楽器(輸入品です)。まぁその値段で作れといわれてもとても出来ないことなので、仕方がないという気はしました。
ここでも保留にしてチェーンのカフェ「マテ・レオン」で休憩。マテ茶を飲みつつ考える。
経済状況からすると安い方。でも手を加えてもどうにもならないほど、良くない。1940年代のは弾きこめば鳴りそうだから仕事にも使える。でも高い・・。
ここで母に電話。事情を話すと仕事で使える方が良いのでは、と言われる。そうそう、そうだよねー!ついに借金の申し入れ!!そして銀行で大金をおろしフェルナンドのもとへ直行。ニコラにお礼の電話をし、喜んで帰宅。さあ楽器を弾きこまねば。

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リオ篇 1月25日(日)

とりあえずネットカフェに行ってみる。でも「ヴァイオリン販売」で検索をかけてもヒットするのはサンパウロのお店ばかり。う~む、本当にリオに弦楽器のお店があるのかな?
ここで説明しておきますが、ヴァイオリンと言ってもブラジルに持っていったのはオモチャ並の超安物に手を加え、なんとか音を出せるようにしたもの。決して高級なものではなかったのでご安心を。…とは言うものの、一緒に日本を発ち、一緒に数週間過ごした楽器。愛着はあったしヴァイオリンのあんな姿を見たのは
初めてで、本当に悲しかったです。
午後になってニコラに電話。するとセントロに一軒だけあるという。なるほど日本でもそうであるように、マンションの一室を借りて看板を出さず、宣伝もあま
りせずに弦楽器工房を営んでいるのだ。もしも昨日のパーティにニコラが来ていなかったら見つけることはできなかったと思う。本当にもう、大恩人です。明日の朝一番でセントロに行くことを決意し、就寝。

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リオ篇 1月24日(土)

今日は大物怪物ギタリスト・ヤマンドゥの誕生日パーティ。「いいミュージシャンが沢山集まるから来なさい」とホジェーリオにすすめられ、コパカバーナから
遠く離れたヘクレイオという土地へ。ヘクレイオに行くにはまずバスでバーハ・ショッピングまで行き、その後はタクシーで向かわなければならない。
悲劇は最初のバスで起こったのでした。宿近くのバス停から乗り、すぐに料金を支払い右手にバッグを持ち、左手にお釣りを受け取ったその瞬間、猛スピードで走っていたバスが急ブレーキで停まり、私は背中からものすごい勢いで床に叩きつけられたのです。
背中には楽器をしょっていました。左腕は痛み、ショックで頭の中は真っ白になり起き上がれない。すぐさま近くのバス停から乗って来た青年が小銭を次々と拾
い集め、私の体を優しく抱き起こしてくれた。運転手も車掌も心配はしてくれたけど、心配するならあんなスピード出さないで~!
バーハ・ショッピングに着いてバスを降りる時、車掌が親指をたてつつ「大丈夫か?」と聞いてきたので泣きそうになりながら親指をたてて「大丈夫」と答えましたが、大丈夫ではなかったのです。タクシーに乗り換えて楽器のケースを開けてみると、魂柱(表板と裏板の間に立ち響きをつくる木の柱)が表板をつきさし、楽器はまっぷたつに割れていたのでした。もはや修理不可能。

やっとの思いでパーティ会場に着き事情をホジェーリオに話すと、フランス人ヴァイオリニスト・ニコラが「僕のを使って」と優しい笑顔で楽器を手渡してくれ
た。すでに行われていたホーダ・ジ・ショーロの輪に入り、数曲ショーロを演奏してあとはニコラにバトンタッチ。聞いていたとおり有名人がわんさかいて「ト
リオ・マデイラ・ブラジル」のゼー・パウロ・ベッケル(ギター)、バンドリンのアミウトン・ジ・オランダ、ルシアーナ・ハベーロ(カヴァキーニョ)、大物
サンバ歌手のバックを多くつとめるジルセウ・レイチ(フルート)、「ノ・エン・ピンゴ・ダグア」のマリオ・セーヴィ(クラリネット)などなど。
でも一度返した楽器を「また貸して」とは言えず、なんだか手持ちぶさた。そしてニコラはとても親切に「リオにある楽器屋を知っているから明日電話して」と言ってくれました。
パーティの後は車でラパの『カリオカ・ダ・ジェンマ』へ移動。タニア・マシャードという女性サンバ歌手のライブでホジェーリオやセウシーニョたちがバック
をつとめるのだ。楽器があれば弾く予定だったのに…セウシーニョに「楽器を持っているときはタクシーじゃなきゃ駄目だ」とおしかりを受ける。ごもっともで。傷心のまま3時頃帰宅。

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リオ篇 1月23日(金)

今日もレッスン。ここから帰国まで、週2回ペースでのレッスン生活が始まる。
昨日のレッスンで学んだ事。まずコーヒーはカップに少なめに注ぐこと。そして砂糖は多めに用意すること。ブラジル人の習慣だそうです。

この日「もし2月の終わりまで滞在できるなら、アジェノールのCDの録音に参加できるんだけど…」と言われる。なんと光栄な!!なんと嬉しいこと!!…でも、私の帰国はカーニヴァルで諸々の値段が高騰する2/21より前の予定。
むむむぅぅ。こんなとき、なかなか簡単に答えはだせないものだ。予算の問題もあるし、2月末には東京での本番やショーロの練習会もある。
うむむむむうぅぅ。悩んだ末、東京の母に電話。お金は足りなくなったら送るから、と背中を押してもらう。本番とショーロ練習会の方もそれぞれ関係者に連絡し、快くOKしてもらい滞在延長を決意。皆さま本当にありがとうございました。

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リオ篇 1月22日(木)

お菓子など用意してみる。いつもよりちょっと念入りに部屋を片付けてみる。
ホジェーリオが住んでいる場所は、リオの中心街からは海を渡るニテロイ(海上高速道路か船を利用)。コパカバーナからニテロイへ通うのは車があってよほど
住み慣れていないと難しいという。彼は仕事でしょっちゅうリオに来るから、と快く出張レッスンを引き受けてくれのでした。
レッスンといっても、私のレパートリーをとにかくひたすら一緒に弾いてもらう。問題は言葉(帰国後の今、この頃の録音MDを聞くとほとんど全くといってい
いほどしゃべれていない。ホジェーリオはよく耐えてくれたものだと感謝を新たにしてしまう)。それでも、一緒に音楽していると楽しくて2時間はあっという
間にすぎていく。ライブの前に彼はどこかへ行くらしく、夜に『ダーマ・ダ・ノイチ』で落ち合うことに。

こちらも夜のライブ前にTさんと共にセントロの路上ライブへ。道の中央にテーブルと椅子をおいて、そこで飲み物を飲みながらショーロ演奏を聴ける。ここで
もカンジャとして演奏。クラリネットのフイ・アウヴィンもやってきて、何曲か一緒に演奏。フイはポルトガル人だが小さい頃からブラジルに住んでいる。
ここでゆっくりしてしまったため、フイの車で『ダーマ・ダ・ノイチ』に着いた時はライブ前半はすでに終了、メンバーから「散歩してきたの?」と言われる。ブラジル人に遅刻を指摘されてしまったのでした…。

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リオ篇 1月21日(水)

休日。近所の商店街を散歩し、パン屋でパルミット(ヤシの若芽)の入ったパステルという揚げ物と、鶏肉入りのパンを買う。でも味は…イマイチ。サンパウロでの食べ物は全然ハズレがなかったのに、ここで美味しいパンを探すのは大変でした。
夜になってギターのホジェーリオに電話をする。先週ライブで一緒に弾いたときの感触が忘れられず、週一回一緒に弾くだけでは物足りないと思ったから。とにかく一緒に弾きたい。辞書をひきひき言うことをノートに書いて、ドキドキしながら宿の一階にある公衆電話へ。
携帯電話に出たホジェーリオはこちらの言ったことはすぐに理解してくれた。でも彼が言ってくることはさっぱりわからない。ちょうど電波が悪かったらしく一
度切れたので、これは!と部屋へ引き返し、一緒に旅していた歌手の片山淑美ちゃんにお願いして再び交渉。以前からポルトガル語経験のあった淑美ちゃんはさ
すが。結局2時間の出張レッスンという形で、翌日から来てくれることになったのでした。ちょっと緊張ぎみで就寝。淑美ちゃん、ありがとう!

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リオ篇 1月20日(火)

今日はTさんのご案内でクララ・ヌネス劇場へ。この日からトータルで5回、毎週火曜の夜にショーロのコンサートが行われるのだ。5枚つづりのチケットで約1500円。1回ずつ買うよりもずっとお得だ。
コパカバーナから車で10分ほど走ると、ラゴア(湖)に近いショッピングセンター内にこの劇場はある。ショッピングセンターといえばお買い物!しかしTさんは男性だったため、あまりその方向に走らずに終わる。

ホールでショーロが演奏されることは珍しい。演奏された曲も、今回の企画者でギタリストのマウリシオ・カヒーリョによるアレンジ、オリジナル曲がほとんどで、演奏者全員が楽譜をみているのもアカデミックな雰囲気。
出演者はマウリシオと共に2004年4月に来日したペドロ・アモリン(バンドリン) &
ルシアーナ・ハベーロ(カヴァキーニョ)、ほかにマルセロ・ベルナルデス(フルート。シコ・ブアルキのバックを長年つとめた)、ペドロ・パイス(クラリネット)、フイ・アウヴィン(バスクラリネット)。素晴らしく、そしてアカデミックな演奏でした。会場の緊張感がとけたのが終演後にロビーで行われたホー
ダ・ヂ・ショーロ。今日の出演者も含め、ものすごい数のミュージシャンが輪になっての大団円。ホールなのに全部終わった時は12時をすぎてました。みなさんお元気ね…。

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リオ篇 1月19日(月)

朝から快晴。若手歌手マルシオ(主にセレスタなどの古典曲が得意)の案内でコルコヴァードへ。あのキリスト像のたつ山頂へはふもとから登山電車でのぼる。電車代は往復で約1,100円。やはり観光地価格かなと思う。
電車は森につつまれた急勾配の線路を進み、時々木のすきまから海や空が見えてわぁっと歓声があがる。山頂駅へつくと、そこから階段・エスカレーターを利用していよいよキリスト像の前へ。思ったよりもずっと大きい!
 また、雲ひとつない快晴ゆえ眼下にひろがる眺望の素晴らしさったら…そしてこの素晴らしい快晴のため、この日着ていた服の形に見事な日焼けを残したのでした。一か月たっても赤かったです(涙)。

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リオ篇 1月18日(日)

昨日の強行軍で朝は起きられず。休日にする。
そういえば日曜なので世の中も休日、お休みのお店が多い。それでも近所にある大型スーパー2軒のうち、1軒は開いているので助かる。
諸外国同様、水道水は飲めないのでお水は買わなければならない。料理をしていると、例えばパスタの茹で汁はうす茶色。洗い物をしていると時々お米のとぎ汁
のような白い水が出てきて、それは無気味なものだ。いつも二つのスーパーの水の値段をくらべるのが日課となってしまいました。

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リオ篇 1月17日(土)

 今日はすべてTさんのご案内で、ショーロ関連で3件ハシゴ。
朝、セントロにある楽器店「バンドリン・ヂ・オウロ」へ。ここの二階でホーダ・ヂ・ショーロがあるという。楽器をいきいきと弾くおじいさんたちにまざり、一人若者が。彼はチアーゴという16歳のカヴァキーニョ奏者。それにしても全然知らない曲がたくさんあることを再認識。誰も譜面を使わず、よく覚えてます。
2件目は「ショーロ・ナ・フェイラ」のライブ。フェイラ=露店。そのまま、演奏している彼らのグループ名にもなっているのだ。文字どおり屋外でのショーロ
には黒山の人だかり。フルート、カヴァキーニョ、ギター、パンデイロという編成で、魅力的な演奏。特にフルートのフランクリンのアドリブは素晴らしい。私
も数曲一緒に弾かせて頂いた。
昼寝してから今夜もラパへ。お店は『アルマゼン161』。アルマゼンとは倉庫のこと。昔本当に倉庫だったそうで、天井には様々な電灯が。しかも一つ一つに値札がついているから売っているらしい。大変ユニーク。
ライブは昨日と同じテレーザ・クリスチーナ。ただし今日はショーロ演奏も多め。ライブ後半で「カンジャ」として3曲弾かせてもらう。やはりヴァイオリンで
のショーロは珍しいらしい。演奏後、色々な人から声をかけてもらう。泣いた女性がいたと聞いた。出逢った人達はみんな温かかったです。
Tさんがテレーザ達と仲が良いため、ライブ終演後テレーザとペドロ(パンデイロ)も一緒に食事に行った。私はそんなに有名な人とは知りませんでしたが、本
当に屈託のない、人なつっこく親切な人達で結局宿まで送って頂いたのでした。写真とかサインを沢山もらっておけばよかった…。

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リオ篇 1月16日(金)

昨晩の興奮と疲れが残り、宿でゴロゴロ。とはいえ、ライブでちゃっかり録音したMDを聴いておさらい。う~む、コードをとるのは難しい。
リオで初めてネットカフェに行く。一時間で260円くらい。サンパウロより少し割高かな?PCの数はかなり多く、さすがに観光地らしく充実している。店員がお客さんと交わす英語も流暢。
出張でリオにいらしていたTさん(ショーロの練習会の生徒さん)から連絡があり、テレーザ・クリスチーナという女性人気サンバ歌手のライブがあるという。彼女のグループはショーロ演奏も得意としているそうなので出かけることにする。
お店はやはりラパにある『カリオカ・ダ・ジェンマ』。初めてサンバを踊りまくるお店に行ったが、なんという大混雑!芋洗い状態!!
サンバのお店だからか、ショーロ演奏はほんの少し。すぐにテレーザ・クリスチーナの歌で大盛り上がり。聞き入るというより、どさくさにまぎれて私も踊りまくってしまった…。

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リオ篇 1月15日(木)

午前は観光。市立劇場、国立図書館、国立美術館などを知人に案内して頂く。美術館では、私が今まで見たヨーロッパ絵画(もちろん日本でひらかれた絵画展)
では感じたことのない、何か新鮮なものを見たような気がします。ブラジルの歴史について描かれた作品も多く、勉強になりました。
夜はいよいよリオ音楽シーンの中心地、ラパへ出陣。前の週にホジェーリオに誘われたライブに向かったのです。
ラパは中心街近くに位置し、数多くのライブハウスが乱立する地域。ここへ行けば毎晩でも、必ずどこかのお店で一流のミュージシャンの演奏が聴ける。しかし犯罪も多発する、要注意エリアの一つでもあります。
『ダーマ・ダ・ノイチ』という名のそのお店は新しくてきれい。夜9時頃着いたけど、メンバーはパンデイロのセウシーニョ一人しか見当たらない。よくあることだそうでどうやら雨のせいで(?)遅れているらしく10時を過ぎてやっと全員集合。

 ライブはホナウド・ド・バンドリン、ギターのホジェーリオ、パンデイロのセウシーニョという三人(いずれも昨年来日)によるショーロ演奏で始まり、数曲後
に男性歌手のアジェノールがサンバを歌い出す。す、すばらしい演奏、そして歌。楽器は持ってきたけど、聴けただけでいいやぁぐらいの幸福感。
そしていよいよライブ後半「カンジャ(=飛び入り)」として演奏させてもらうことに。三曲弾いたところ、遠い日本からやってきたことを喜んでくれたので
しょう、メンバーもお客さんも大喜びしてくれました。そして、演奏を終えてステージから降りようとしたら制止された。「座ってろ」と。
へ??
どうやら弾き続けろということらしい。自分が知っているショーロの曲はいいけど、やがて歌手アジェノールの出番。あのぉ、有名なサンバはわかるけど、この人のオリジナル曲なんて知らないんですけど・・
へ??聴きながら弾けって???
ご無体な・・。かくして、ショーロ、サンバはポピュラ-音楽だと体感するべく、帰国までの毎週、このメンバーのライブで弾くことになったのでした。

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リオ篇 1月14日(水)

今日の目標は地下鉄に乗って銀行へいくこと。宿から最寄りのシケイラ・カンポスという駅まで、歩いて15分強。途中のショッピングセンターに立ち寄ると、
どうも照明が暗い。お店の数もイマイチ。何も買わずに駅へ向かう。乗車賃は均一で、その路線のどの駅まで乗っても片道約70円。
カリオカ駅に着き地上へ出ると、かなり人出が多く活気がある。このあたり一帯はセントロ(中心街)と呼ばれていて、やはりそれだけのことはあるのだろう。しかし、ここのショッピングセンターも暗い!
そして当面の日用品を買いに、タクシーでリオ最大のショッピングセンター「RIOSUL」へ。さすがに広い。お店の数も多い。でも…照明が暗いのです。この時「誰もブラジルで買い物にハマって帰らない謎」がとけたのでした。
それは、街の違い。なんとなく聞いてはいましたが、サンパウロは働いて美味しいものを食べ、おしゃれな服を着る。リオはどちらかといえば遊び、海で泳いで
音楽を楽しむ観光地。そう、私のまわりのブラジル帰りの人達はほとんどリオ帰りだったのです。現に私も、これから徐々に音楽に時間を費やすようになるので
した。

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リオ篇 1月13日(火)

リオのサントスドゥモン空港は、海の近くにある小さな空港。降りた時から海の匂い。
そして大きな空が広がっていた。空港からタクシーで宿に向かう間、写真でしか見たことのなかった「ポン・ヂ・アスーカル」が見えて感動(またもや小心者で写真撮れませんでした!)。
一大観光地・コパカバーナ海岸に建つアパートメントホテルは、高級地とは思えないほど良心的な低価格。部屋も広いしエアコンつき。でも枕が湿気ていて、ああ海の近くだなぁと実感する。
昼寝した後、裏の洗濯屋へ。台所や冷蔵庫はあるけれど、洗濯機はないので手洗いのもの以外はお店に出します。そこで働くガードマンの青年がやたら人なつっ
こく、お客で来ていた近所の女性たちと共に談笑。いえいえ、ここまで人の後にくっついて会話をすべて任せていた私は、この時点ではポルトガル語はほとんど
話せず、おはよう、こんにちは、こんばんは、あとは買い物ぐらいでした…。

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サンパウロ篇 1月11日(日)

朝食のあと、近くのフェイラへ散歩にいく。沢山の野菜、果物が並ぶ。屋外なのにお肉も売ってたけど大丈夫かな?などと心配になる。
ふと気づく。ブラジルに着いてから一度も楽器にさわっていない。
あわてて練習。隣の部屋のおじさんがテレビの音量を上げてきた…むう。
夜はMarie先生宅でお食事をごちそうになる。お別れにショーロ数曲と日本の「ふるさと」を弾いたら、Marie先生のお母さま(95歳!)が喜んで下さった。
Yuriがフェイラで見つけたアンティーク・ブローチをプレゼントしてくれた。あんまり温かくしてもらいお世話になったので、感涙にむせび一人ウルルンを演じてしまう。とっても素晴らしい一週間でした。

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サンパウロ篇 1月10日(土)

初めてブラジルのマクドナルドへ。「チョコマック」というアイスクリームを食べた。チョコ味のソフトクリームに、チョコのコーティングで外側はパリパリ。
あ、あまっ。
そして、ブラジルのマクドナルドにはホットコーヒーがありませんでした。Cafeがないなんて、驚き。というか、さすがの私も甘さを中和できず困りました。
ピニェイロという街へ出かける。オシャレな建物が多い。
昼食はフェイジョアーダ。疲れたのでプロポリスを買って帰り、曝睡。

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サンパウロ篇 1月9日(金)

実は、運命の日。
雑誌「Veja」によるとパウリーニョ・ダ・ヴィオラ(国民的サンバ歌手)とノ・エン・ピンゴ・ダグア(モダン・ショーロを代表するグループ、全員凄腕)が一緒にコンサートをするというので、近くのホールへ。
圧倒的な音楽性、技術の高さに加え、憧れのパウリーニョの生歌・生演奏も聴けて大興奮。興奮して写真撮るの忘れた…。
そして終演後、ギターのホジェーリオ(昨年夏に来日していた)と話をしたら「リオに来るならライブをやるから、一緒にやろう」と言われ、びっくり。(普通、音を聴いてもいないのに一緒になんて・・私なら言えません)
これが、思いもよらなかったリオでの音楽生活のきっかけとなったのでした。

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サンパウロ篇 1月8日(木)

Marie先生のお宅でそうめんをごちそうになる。久々の日本の味。美味しかった。
今日もイビラプエラ・ショッピングへ。女性ばかりで買い物三昧。日本でも買ったことのあるスペインのMNGのジャケットを破格でゲット。
毎日、美味しい食事と買い物の日々。かつて、知り合いや友人のミュージシャンが「ブラジルへ行って買い物しまくった!」ということは聞いたことがありません。食べ物がおいしくて食べ過ぎた話はよく聞いてましたが、買い物は・・なぜ?
この謎は、リオに行ってから解けたのでした。

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サンパウロ篇 1月7日(水)

毎日の日課は、両替所へ行き持ってきたドルをレアルに両替すること。少しずつ相場が変動します。
初めて近所のインターネットカフェへ。人なつこい女主人が笑顔で応対してくれる。30分で110円くらい。
今日はイビラプエラのショッピングセンターへタクシーで。少し遠い。
昼食はイタリアン。ここの建物はすばらしい。広くて、きれいで、お店の数がハンパじゃなく多い。ブラウス、ベスト、ジーンズ。全部で三千円台。

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サンパウロ篇 1月6日(月)

宿の朝食はおいしい。パン数種類、濃いフレッシュジュース、ハム、チーズ、フルーツ、そしてコーヒー。食べ放題なのです。食べ過ぎてしまうのです。
セントロ(中心街)のショッピングセンターで昼食。すぐ近くの市民劇場で撮影。
サンパウロは450年のお祝いムード。何してから450年?わかりません。
近くのCDショップへ。当然ながら日本ではお目にかかったことのない色々なCDをゲット。7枚買って5千円強。
その後たくさん歩く。有名なセー教会や歴史的な建物が並ぶ。素敵な街です。
東洋人街リベルダージへ行ったが、一緒だったMarcos(Yuriの旦那さん)が数人の男たちがつけてきている、と言ったのでこわくなった。無事帰る。

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サンパウロ篇 1月5日(月)

朝9時すぎにサンパウロに到着。成田出発から、機内で2度も朝日を見る。
飛行機から町並みを見下ろして一番おどろいたのは、家々の屋根がみんな赤いことだった。きれい。
空港まで迎えにきてくれた、ポルトガル語のMarie先生、その姪のYuriとともにパライーゾという地区に向かう。先生が探してくれた宿は先生宅のすぐ裏。かわいらしい建物で、宿の人も親切。
夏服に着替え、ポルキロ(量り売りのレストラン。ブラジルでは一般的)初体験。アラブ系の料理でとても美味しかった。
近くのパウリスタ・ショッピングセンターに連れていってもらう。美しいワンピースが三千円もしない。即買い。貧乏性ゆえ価格は書き漏らさない。
初めての海外の地、カメラを出すのもこわくて写真を撮れませんでした…。